金王八幡神社へ行った。犬のじゅんちゃんもいた。
「じゅんちゃーん!」
爆走こいてた。元気な。ほんで
郵便局の前には秋田犬がいた。
2003〜2004日記の一部は以上です。他は保存していません。

犬のじゅんちゃんはもう御星様になってしまい、
私ももう渋谷の駅前では占わなくなり、
ハチ公前にいたカポエリスタやチリの商売人とも会ってはいない。
2003年のこの頃、わたしは、、、おそらく、
さみしくは無かったし、好かれることもあったけど、
私が欲していたものはもっと違うものだった。

私のこの状況を、誰も言い当てることはできなかった。
私だけが、自分を信じた結果、もたらされたよい出来事のいくつかがこの時期にはあった。
占師ではないが勘のいいひとがなぜか私の前に来て、ある程度の言葉と、私のやり方を肯定し、心のバランスがよい人だけが小額のお金を預けてくれた。大きなお金を預けたひともいたけれど、そういう人は心のバランスを崩していた。

オーストラリアのヒーラーの女性、
フランス系の血の入った、フランスの親戚が占師だという綺麗な子、
過去、自分のある能力を国家に提供させられたひと、
某大手暴力団の頭の世話をしていた、やさしい男性、
昨日ムショからでてきたひと、
数時間前に撲殺されそうになったひと、
名古屋から来た、商売の気質とある感覚が日本一のひと、
私が占った最初で最後の議員、
有名な人よりはるかに強く、私の後ろにいる人を言い当てたひと、
スリランカの商売人、
ネパールの占いもできる人、
沖縄の小さな島に生まれた、もうひとつの名を持っているひと。
幾人かの警官
奇跡を目にして何も注意しなくなったガードマン
右翼
左翼
オカルティスト
あらゆる中毒者
渋谷の地下にもぐり、人の為の未来の足を作りだしている人たち
多くの人が寝ている間に労働するひと
汚い姿で街にすむ人
徘徊老人
病気の人

どの人もわたしにとってはよい出会いだった。
どの人ともたくさん話をした。金持ちは短く、お金の無いひとは長く、話していった。 脅されたことすら今はいい思い出なのである…
総ての人がメッセージをもっていた。今後も場所を変えてこういう事を経験するだろうし、私は安住する立場にまだいない。

性の倒錯者ですら私には占う場合何ら普通の人とかわらない。
占師の目線は自然に養われた。

何時に誰が来るかがわかり、
いつ雨がふるのかがわかり、
どこに行けば良いのかもわかった。何が弊害で、どれだけの時間がかかるのかもわかった。

その能力は、一銭にもならない、というのは言い過ぎだけど、それはたぶん1000円ぐらいにしか換算できない能力ではある、がなぜか心の中は非常に満たされる。

つまり自分の占い師としての選択が、正しいということ、それが把握できる事は何事にも変えがたい。

今でも、私にデザイナーとしての働きを勧めてくれる幾人かの人がいる。カウンセラーとしてやったほうがいいと助言されたりもする。
占師になったことを都落ちみたいに考え、気づかってくれているようなそんな言動のいくつかに対し、私はたぶんあまり多くを語らない。誰しも自然に腑に落ちるときがくるし、そのときに、その人が自然に理解することを私は信じている、それが事実だからだ。私が語りすぎることはその人のその能力を見くびることになる。 それはしない。傍観者になりすぎることがないようには努力しているが、基本的には私自身に貫くスタイルというものが少しぐらいあっていい。

私は多くの依存者と供依存者の間で葛藤を重ね、経験もし、またその問題に関して多くの時間を費やし、その問題に関する多くの情報を10代でつかみとった。多くの本を集め、読み、なんらかのおおきな知恵を授かった。適当に話を合すことも苦しくは無かった。数多くの音楽を聞いた。数多くの場所で踊った。数多くの仕事をした。美しいものをたくさん作ろうとした。いろんな賞賛を受けた。その賞賛も数多くの悲惨な失敗があってこそ。悲しい経験も数多い。でもその数が多くても、幸せになることにはなんら悲しみの数は関係ないと今は思える。(よく人は、苦労した分だけ幸せがあるというけれど…私はそこには異論が少しあるわけです。数は関係ない。)初めて会った人がすぐに評価をしてくれるといういい経験をした。そしてそこでもういいや。と思って終わりにしたのに、占いだけ違った。もちろん評価はしてもらえたが、常にある程度の課題が残った。それは最初ネガティブな感覚で残ったが、時がたつと、ポジティブな感覚での課題ともなった。もっとエネルギーの流れを円滑にできるはずだと思い描くようになった。私は聖職者にはなれないだろう。なったらよかったのだろうか?でも今のほうが違う方法で、もっとアプローチできるはず。聖職者や教育者だったり、権威をもっていたら、先に書いたような人が、本心を語ってくれるだろうか?近寄ってきてくれるだろうか?対話を軽やかにできはしない。重い問題がますますその人に重くのしかかる。それは生きる希望を与えてくれはしないだろう。私にはこのやり方が合っている。

聖人のフールズクロウにはいくら感謝をしても足らないぐらいだ。
時々会ったこともない彼の意識を私は感じる。同時に、同じように名も無い聖人の幾人かは、いろんなメッセージをもたらしてくれる。

彼らは言う。
本当に人に何かを語りたいと思う人であれば彼らのことやおおきな流れが自然にかんじとれるはずであり、実際あったかどうか、話したことがあるのかどうかは関係ないと。同じ宗教であるかどうかも関係ないし、同じ民族であるかどうかも関係ない。男か女かも関係ないと。どれだけ勉強しているかどうかも関係ない。どれだけよいこと を積み重ねているかも関係ない。健康であるかそうでないのかも関係ない…

私に対し常に現実を整えてくれ、事柄が意味のある時間で進むように支えてくれる彼らの意識に感謝したい。

そういう過程の少しだけ、一部分を、2003年の日記が含んでいたように思われたので、ここに記した。